未来をみよう。

第1話

未来を見るための方法の1つとして、
「螺旋的発展」の法則
を使うやり方がある。

「螺旋的発展」の法則:
世の中のすべての物事の進歩や発展は、
右肩上がりに一直線に進歩・発展していくのではない。
あたかも螺旋階段を登るようにして進歩・発展していく。

『使える弁証法』(東洋経済新報社)

例えば、IT業界
IT業界は、「集中:企業中心」「分散:顧客中心」をいったりきたりしながら、螺旋的に発展している。

画像
「IT業界の螺旋的発展」※IT業界の動向を元に筆者作成

そして、この構図が分かれば、次の時代に何が来るかは予測できる。

2040年頃から、IT業界はふたたび集中の時代に入る。集中の時代は、どこかの企業が覇者になる。メインフレーム時代はIBMであり、クラウド・コンピューティング時代はAmazon, Microsoftであった。

それでは、次の時代はどの企業が何で覇者になるのか? 

こう考えていくことでIT業界の未来は読める。
(現時点では、「どの企業か」はまだ分からない。一方「何で」かは、既に分かっている。)

それでは経済的自立についてはどうであろうか?

これは色々なことが絡むので結構難しい。人間の行動様式教育の仕組み、更には文明のありかたといったことも絡んでくる。

簡単に結論が出る話ではないと思うが、まずは一歩ずつチャレンジしてみたい。

最初に対立概念は何かということを考えてみた。
経済的自立という文脈で私が一番しっくり来たのが、
「個性化」対「均質化」
である。

経済的自立が求められるのは、「個性化」の時代。ひとりひとりがそれぞれのライフワークを追求する時代。お金の心配なくライフワークを追求するために経済的自立が武器になる時代

一方「均質化」の時代は、どっちかというとライスワークを頑張る時代。いい学校に入って、いい会社に入れば一生安泰。みんな同じようなものを目指して、同じような働き方をする。経済的自立に対する需要は小さい。

今、明治時代から長らく続いてきた「均質化」の時代が終わり、明らかに「個性化」の時代に入ってきたと感じている。

実際、SDGsにおいて、その目標の1つである「質の高い教育をみんなに」の中に以下の主張がある。

画像
『未来価値マーケティング』(PHP研究所)を参照
https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/17goals/4-education/

ライフワークを追求しようということが、SDGsの中でも主張される時代になっている。

ここで螺旋をぐるっと戻って、今の「均質化」の時代の前の「個性化」の時代はどうだったのか?

 

第2話

私が見ている未来は以下である。

画像
個性化と均質化を行き来する螺旋的発展

長き均質化の時代が終焉を迎え、いよいよ個性化の時代に入ってくる。

螺旋1周前の個性化の時代であった江戸時代。一体どんな時代であったのか?

私が着目しているのは、当時人口の約八割を占めていた百姓

今でいうと、私を含む一般ピープル。江戸時代、社会の圧倒的多数であった百姓を見ることで、これから同じ個性の時代を生きていく私たちのヒントが隠されていると思う。

ここからの話は、江戸時代の百姓研究の日本の第一人者である渡辺尚志一橋大学名誉教授の以下の著書の内容をベースとしている。

[1]『百姓の力 江戸時代から見える日本』(角川ソフィア文庫)
[2]『百姓たちの江戸時代』(ちくまプリマ―新書)

まず、江戸時代の百姓生活において重要な3つの事項を以下と捉えた。

  1. 発展した商品・貨幣経済
  2. 一人一人個別教育の寺子屋
  3. 共同体における複合的な生業

1は、現在より明らかに貨幣経済の重要性が周知されていた。

一般人にとって、一生の一大事は世渡りの道であるから、士農工商はもとより、僧侶・神官に限らず、どういう職業にあっても、倹約の神様の御告げに従って金銀をためなければならない。この金銀こそ両親を別にしては命の親と呼ぶべきものである。

この世で人間が願うことのなかで、何によらず金銀の力でかなわないことといえば、天下に生・老・病・死・苦の五つがあるだけで、それより外はないのである。とすれば、金銀にまさる宝がほかにあろうか。

『新版 日本永代蔵』井原西鶴 堀切実監修 (角川ソフィア文庫)

明確に「金が何より大事だ」と当時の大ベストセラー作家の井原西鶴先生が主張している。

今の時代に足りないのはこういう分かりやすい主張であると私は感じる。

「貯蓄から投資へ」等のぼやかした主張もいいのだが、それだと言いたいことが伝わりにくい。

「金が何より大事だ」。なんとなく多くの人が感じてるこのことをまずは共通理解することが必要と感じる。
井原西鶴先生、今の時代こそあなたが必要です。

次に2の寺子屋である。

寺子屋は幕府や大名などが上から設置したものではない。あくまでも村人たちの要求を受けて、下から自主的につくられたものである[1]。
いわゆるボトムアップ・スクール。今でいう、フリー・スクール。

そして義務教育ではないから、行くのは強制ではない。
にもかかわらず、多くの子どもたちが寺子屋に通うようになり、当時の日本の識字率は世界と比較して大変高かったという記録がある。

この寺子屋がなによりすごいのは、年齢や進度に応じた個別授業が行われていたということである。つまり一人一人学習内容が異なるということ。

これは先生、すごいですね。私も大学で教えているが、とてもじゃないが一人一人に違う内容を教えることなんてできない。

こんなすごい寺子屋が江戸時代には、確認できているだけでも16,560軒、実際はその数倍あると言われている[2]ので、約5万名近い、スーパー先生がいたということになる。

江戸時代、あなどれない。

最後に3の共同体である。

ご存じの通り、江戸時代は村社会であり、村が共同体としての基本的な単位であった。そして、村を繁栄させること、それが共同体としての共通の目的だった。

その目的を達成するため、村では、村が持つ資産(主には土地)を最大限に活用して、コメ作りだけではなく、他の農業、更には非農業と、複合的な仕事を自分達で作り出していた。

そして、当時の税制がおもしろく、農業には47%の年貢が課されたのに対し、非農業については2%以下であった[1]。これが、非農業領域の新たな仕事を生み出す原動力の1つとなっていた。

我々も労働収入が増えると、最悪50%ちかい年貢を課せられるが、投資収入はどれだけもうかっても、20%。NISAなら、年貢は0%。ちょっとだけ似ている。

ざっと江戸時代の百姓についてみてきたが、どう感じたであろうか?

徳川家康を見るより、百姓を見た方が、経済的自立の観点では役に立つ。

この時代を知ることで、これからの「個性化」の時代を予測できるのではないか。

 

最終話

江戸時代をもう少し分解してみてみたい。

画像
個性化と均質化の時代の変遷 3世代

明治時代が始まった1868年ちょうど300年前の1568年に織田信長が、京へ入った。
そしてここから、豊臣秀吉、徳川家康とバトンが受け継がれ、天下統一がなされていく。

この時代、日本に3度にわたり来日したイエズス会宣教師のアレッサンドロは、当時の日本を次のように報告している[1]。

日本人は穏やかで、子どもたちは下品な言葉を使わず、暴力もふるわない。さらには、大人のような理性と落ち着きをもっている。服装、食事、仕事などは清潔で美しく、全ての日本人が同一の学校で教育を受けたようである。

『日本巡察記』 アレッサンドロ

正に均質化の時代である。
また、この時代は、幕府や藩がトップダウンで、家臣の学問や武芸を向上させるための学校を積極的に設立した[1]。

そして織田信長が京に入ってから150年。

ここで満を持して登場したのが、8代将軍徳川吉宗である。

吉宗は、幼少のころから将軍予備軍として育てられた歴代の将軍たちとは、大きく異なる個性の持ち主であったと言われる。この吉宗は先例や格式にとらわれず、自らの意思を前面に出して政治を主導した[1]。

正に、個性化の時代を切り開いていく上で、うってつけの人物である。

吉宗は歴史の教科書で有名な享保の改革でいろんなことをやった。
その中で教育についても改革を行った。

「国民教育」の振興である。

武士のみならず庶民をも含め、国民全体を対象に儒学の振興・普及をはかった[1]。

そしてこの吉宗の熱い想いが起爆剤となり、江戸後期になると、教育熱は、地域や身分をこえて国民規模で高まった。

そしてこの活動を基礎でささえたのが、小規模で個人的な教育機関である寺子屋である。

享保の改革が終わりに近づく1840年頃に初期の寺子屋が発足し、1930年以降の江戸末期に急増していった。

以上、江戸時代の振り返りである。

ここで現在に戻る。

明治以降の均質化の時代はどんな時代だろうか。

江戸時代の共同体の概念は薄まり、基本個人で頑張らないといけない。⇒ <個人戦>

戦うルールは、全体で均質化しており、それを偏差値という共通の数字で測る。 ⇒ <全員同じ土俵で同じルール>

全員同じ土俵で偏差値という同じルールで戦う個人戦。

勝つのは、幅広い教科にうまく対応できる人。
そして、勝ちと負けが偏差値という共通の指標で明確になる世界。

結構大変な時代を、私たちは過ごしてきたものだと思う。

でも大丈夫。その時代は既に終焉を迎えている。

これからは個性化の時代。

戦うべき土俵は沢山ある。そして、ルールも土俵ごとにばらばらである。

そして共同体の概念も復活してくる。

同じ志を持った人々がつどうようになる。

江戸時代の共同体は、物理的な土地がその中核にあった。
でも今は、江戸時代とは違い、物理的な制約はない。
同じ志を持った人々は、住んでいる場所に関わらず自由につどえる。

オンライン寺子屋。

更に寺子屋は子供だけのものではない。

想いをもった大人もそこにつどい、子供と一緒に成長していく場。

江戸時代の後期、寺子屋は村の数より多い、5万以上あったと言われている。

共通の想いを単位とした寺子屋が、これからその数を超えるくらいに生まれてくるのではないか。

共同体に守られた団体戦。更に戦うルールはそれぞれの個性を反映したもの。

そんな時代がこれから必ず来る!

そして、そんな時代をみんなで創っていきましょう!

Follow me!